一般感覚からはかけ離れた不合理な世界

前回のブログで私が公開した内容が議会運営事項検討会(区民に非公開とされている任意の会議体)の資料でありブログの公開時(8月21日)時点では運営方法すらまだ確定していなかったにも関わらず、「検討中の議題を区民に公開したから」という理由でブログを削除するまで私の傍聴を禁止すると8月29日に口頭で伝えられました。

検討中の議題を公開してはいけないというのであれば、区民が傍聴可能な委員会で検討されている様々な事項も全て検討中の段階で区民に公開していることになります。

委員会において出る議題は全て議決前で、委員会に出た時点で「検討してる」ことが正式な事実です。「議決しなければ出せない」なんてことは地方自治法のどこにも書いてありません。

検討事項はどうでもいいものから大事なものまで混ざっています。そして決定したとき、私はこれらの流れを全部公開します。「どの会派が何を提案したか」というのは区民に知らせるべき情報です。「どの会派が、どの議員がその提案に反対したか」これだって区民が知りたがる話です。だから、どのタイミングであっても、私は必ず公表します。それが目黒区議会議員として議席を預かったものの責務だと思うからです。
 
公開されるとわかっていれば、議論も自ずと真剣になります。真剣な議論で、より区民に身近な区議会になっていただくよう努力していただきたい。私自身が参加できないからこそ、せめて区民の皆様に知っていただきたいと思うのです。
 
そうしたら、「傍聴禁止」だそうです。
区民に知らせたくない話をしているの?ということにならないでしょうか。
そしてさらによくよく聞いてみると「議論の途中経過を勝手にブログに載せたから傍聴させません」とのことです。

最初にその公開をしてはいけないと言われてないことは、法律上議会関連では「情報公開の原則」が優先します。制度として禁止されていないことはしてもいい、それも区民のためになる話ならばなおのこと、と私は思います。だから、ブログを消すつもりは全くありません。しかし「ブログを消すまでは傍聴禁止」なのだそうです。

こうなると他に何か理由があるのかと勘ぐりたくなります。でもここで忍耐強く、少し突き詰めてみました。

すると「白川愛のことを話すから本人は傍聴禁止」だそうです。
いやいや、理由になりません。

本人に対する議論は本人が議決には入れませんが、聞くことを禁止することはできません。何しろ利害の当事者です。むしろ「参考人招致」で呼び寄せて話を聞くのが筋でしょう。
 
ここまでくると、議会事務局がなぜこんな「議会による組織的違法行為を容認しているのか」を問いただす必要を感じてきました。

任意の会議体は議会運営委員会の下に設置されているが独立しているという回答でしたが、それなら委員会室を任意の会議体は自由に使っているので、施設の目的外使用となるのではないでしょうか。

前回の議長宛に提出した質問状がお気に召さなかった、与党議員がいらっしゃったようなので、以下の様にご指摘を頂きましたので、申し合わせ事項に記載されている通り、議長に直接質問状を提出させて頂きましたので公開させて頂きたいと思います。

以下は私のメモ
「疑問点があれば直接それを質問するというふうに、申し合わせ事項にあるわけでして

まず、その作業を行って頂くべきだったかなと思っています。で、その部分にかんしまして、それで足りる物をですね、公開質問状というやり方がどうなのかなあと思います」中略

「ご公開してご自分のブログなどでご紹介されるのはよろしいかと思いますが、
この部分もですね、また曲解されてまた紹介されても困るということもあります。

ですから、こういった部分に関しましては、まあ、これからもあると思いますので、今後の議会検討会の議題として私たちはしっかりと取り組んで行かなければならないと思います。

ここでは問題提起をさせて頂くことにしたいと思います。以上」だそうです。

そしてこの議会運営委員会と同一構成メンバーで議会運営委員会の下に設置された議会運営委員会とは別の運営となる、独立した任意の会議体について追加の質問状を提出させて頂きました。

追記、先日公開したブログ内の資料に関して
この議題資料の取り扱いについては、私は、検討会議運営のルールが示された8月22日より以前のものなので公開しました。
しかし座長から「ルールによって検討会議の資料は公開すべきではないものだと決まったので公開を遠慮してほしい」旨を承りました。

本来なら削除する理由はないのですが、先輩議員である座長からお願いされたら無視はできません。座長からのご丁寧な説明を頂きましたので、新しく決まったルールに従ってルール決定以降に配布された議会運営委員解の公式資料と差し替えをして再投稿させて頂きました。
 
このような「一字一句同じ内容の資料が会議によって公開非公開が異なる」ということ自体が不合理だとは思います。
しかしこれが法律や議会のありようなのが現実です。